【第1話】ブログ開設だけでビビる男!
「ふおおおおおおおお!!!
ブログ作っちゃったあああああ!!」
私は震える手をPCマウスから離し、思わず絶叫した。
単に私は、必要事項を入力して無料のブログを開設しただけである。
しかし私にとってはかなり負担の大きい作業であった。
事前に十数個の参考サイトを訪れ、念入りに事前準備をしていても、
「もし予測しないハプニングが起きたら?」
「説明にない画面が出てしまったら?」
とビビってしまうのである。警告画面が出れば、なおさらである。
このような経験をした人は他にもいるのではないだろうか。
そんなセンスティブでデリケートなハートを持つ私は、「ミスニージュ」という名前でtwitterでの情報発信やゲーム配信を行っている。
そんな私は、「140文字に制限された呟き」では
表現しきれないほどユニークな人生を歩んできた。
幼少期、私は重度の環境アレルギーを患い、後に「発達障害」の診断を受けた。2020年現在のように、ニュースやバラエティ番組等で「発達障害」の特集が多く取り上げられてはいない時代である。
私には「言語理解」や「短期記憶」に問題があった。
そのため、「物事を覚える」「習得する」「自分の考えや気持ちを
人に伝える等」が極度に苦手であった。
環境アレルギーで学校にも行けず、近所のお友達と公園で遊ぶなどの
「子どもらしい経験」にはなかなか恵まれなかった。
発達障害に関する情報が今のように数多く報道されていない時代。
勉強熱心でユニークな母は、息子の人生に壮大なロマンを描き、
常にポジティブで柔軟であった。
そして私に「マインドマップ」をはじめとする様々な
視覚支援ツールを用いた独自の教育を施していった。
教育によって「できること」が増えていき、
自信が付いた私は「将来こうなりたい」と色々な夢を描いた。
小学5年の時点で「引き算・掛け算」ができず、小学6年生で偏差値26だった私。それでも「“行きたい!”“やってみたい!”気持ち」を大事にしてきた。
世間から「そんなの無理だよ」と言われるような難関の中高一貫校も、
「可能性にかける」と決めて挑戦した。受話器で「不合格」の音声を
聴いたときの決意を私は忘れなかった。
中学時代は病弱特別支援学校で過ごした。そこで「肺が1/3ない」
「トゥーレット症候群(体が勝手に自傷行為をしてしまう)」
「未熟児で生まれ心臓が小さく、廊下を走ったら命とり」
といった、「今を生きていることが精一杯」な子たちと勉学を共にした。
その後、2度目の中高一貫校不合格となり、私は高校時代を通信制高校で
過ごした。入学式でヤンキー(???)の集団いじめに遭ったものの、
私は「ここに来た意味を見出す」とポジティブであった。
下は15歳から上は80代まで、人生経験も職業も異なる人々が
同じ階段を上り、授業を受けるユニークな環境で、まさに
「社会の縮図」のようなスクールライフであった。
この頃から私は誰にでも声をかけて仲良くなれる
謎のコミュニケーション能力を身に着けていた。
この時点で、私の偏差値は小学6年当時の3倍以上に上がっていた。
まるで「赤い彗星」のようである。
その後も色々あったのだが割愛し、私は現在、オンラインで学べる
大学で勉学に励んでいる。そこでは「常に最新の事例をテーマに
ディスカッションを重ね、研究する」という新鮮な勉強スタイルだ。
家の近所を走っただけですぐ息が上がるほど貧弱な私には最適な環境であった。パンデミックによって人々の生活様式が変わる前の話である。
学長は非常にユニークで柔軟な思考を持つ人で、入学式の場では
「これからの時代はオンラインとオフラインの舞台で自分を
表現することが求められる。仮想人格を持つことが大事」(趣意)
という言葉を聴いて私は衝撃を受けた。
その言葉の意味を考えながら、私は2018年に初めて
自分のtwitterアカウントを開設する。
当時は、それほど呟きのない、ただの「閲覧用アカウント」であった。名前も「ミスニージュ」ではなく、「中二病か?」と言われそうな別の名前を付けていた。
2019年、あるソーシャルゲームのオフラインイベントに参加した私は、
会場で「顔にメルヘンチックな女の子のお面をつけた人」を見て
カルチャーショックを受ける。
この出来事が、後に「ミスニージュ」誕生の大きなきっかけになることを
誰が予想しただろうか?(第2話に続く)
【ミスニージュのtwitterアカウントはこちら(*'ω'*)】